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第四幕 距離のかたち

last update Fecha de publicación: 2026-02-13 06:00:34

第四幕 距離のかたち

 春が終わり、夏が来て、気づけば季節がひとつ進んでいた。高校一年の終わりが近づく頃には、沙友里の生活は、完全にアイドルのそれになっていた。

 レッスン、収録、イベント。

 予定は前日に送られてきて、変更は当日の朝に知らされる。

『今日は帰れないかも』

『ごめん、明日も朝早い』

 それだけで、一週間が過ぎていく。僕は慣れたふりをしていた。待つことにも、短い返事にも。

 会える日は月に数えるほど。しかも、人目を避けてほんの短時間。

「……久しぶり」

 そう言って笑う沙友里は、前より少しだけ遠慮がちだった。話したいことはたくさんあるのに、時間がそれを許してくれない。

「大丈夫?」

 そう聞くと、沙友里は決まってこう言う。

「うん。ちゃんとやれてる」

 それ以上は言わない。言えない、のかもしれない。

 僕の前でだけ、弱くなってほしい。そんな願いを口にする資格は、もうない気がしていた。

——僕たちは高校二年になった。

 クラス替え、そして新しい教室。少しだけ背が伸びた生徒たち。その中で、僕の時間だけが、中学の延長みたいに静かに流れていた。

 僕の生活の中で起こった、もう一つの変化。それは、漫研に新入部員が入ったこと。

佐倉琴音さくらことねです。よろしくお願いします」

「知ってるよ。久しぶりだね、佐倉さん」

「お久しぶりです、先輩。中学の時みたいに、琴音で大丈夫です」

 中学の頃、よく顔を合わせてた後輩だった。

「先輩の漫画、卒業してからも読んでました」

 そう言われて、少し驚く。

「新作、描いてますか?」

 目を逸らさずに、そう言う。まっすぐな声だった。

 琴音は普段静かだけど、漫画の話になると止まらない。作品の感想も、疑問も、遠慮がない。僕は今書いている作品を渡した。

「この主人公、我慢しすぎじゃないですか? 言えばいいのに、って思いました」

 自分のことを言われているようで、胸が痛んだ。

「……そうかもね」

 琴音は笑う。

「でも、そこが好きです」

 誰かに、そんなふうに言われるのは久しぶりだった。

 すがりたくなるような言葉に、心が揺れた。

 沙友里と話す時間は減り、会う時間はほぼ無い。あるのはメッセージのやり取りだけ。

 返事は来る。でも、やり取りは続かない。

 一方で、琴音とは、普通に話せる。同じ場所で、同じ時間を過ごしているから。

 それが、危険だと気づいていた。

 部室で二人きりになった時、琴音がいつもより近い距離で座る。肩が触れそうな距離。僕はさりげなく下がる。

 琴音は何も言わなかったが、少し笑っていた。

 触れようと思えば、触れられる。でも、僕は一線を越えなかった。

 帰り道が重なる日も、二人きりになる瞬間もあった。それでも、手を伸ばすことはなかった。

 夜、自分の部屋にいると、スマホが震える。

『今日、ライブだった』

『ちゃんと、やれたと思う!』

 いつもの短いメッセージ。でも、少しだけ温度があった。

『お疲れさま。無理、してない?』

 しばらくして、返事が来る。

『大丈夫!』

『直哉がそう思ってくれてるなら』

 その一文で、胸が締めつけられる。

——思ってくれてるなら。

 何も出来ずに心配するだけ、それが前提になっている言葉だった。

 僕は沙友里を信じている。それは本当だ。でも同時に、信じることでしか、繋がれなくなっていた。

 琴音が言ったことがある。

「先輩、誰かを待つのって、しんどくないですか?」

「……しんどいよ」

 正直に答えた。

「でも、やめたいとは思わない」

 琴音は、少しだけ黙ってから言う。

「優しすぎですね」

 それは、褒め言葉なのか、それとも優しい警告なのか。

 高二の夏——

 沙友里のグループは、さらに忙しくなった。一人の都合じゃ、何も決められない立場になっている。名前を呼ばれる回数が増えて、遠くの会場にも行くようになった。

 僕は、ライブに行くことすら、ためらうようになっていた。近づきたい。でも、近づけない。

 一方で、普通の恋愛も、確かに目の前にある。

 そのことを、考えないようにしていた。

 でも——いつまで続くのか。

 答えは出せなかった。

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